【ビクター・ウッテン TED:言語としての音楽(3/6)★翻訳付】
投稿日:2019年6月17日 更新日:
その3
Music as a Language: Victor Wooten at TEDxGabriolaIsland
楽器が手元にあった時には既に、
私はとても音楽的でした。
3歳になる頃には、
レジーは6弦あるギターのうち2つの高音弦をはずし
それが私の初めての楽器になった。
レギーは私が知っている曲の音が
どこをならせばなるのかを教えてくれた。
私は決しして初心者ではなかった。
私は既にとても音楽的だったので、
あとはその音楽性を楽器に通すだけでした。
思い返すと、
それは私が言葉を習ったのと全く同じでした。
初めに習ったのは楽器ではなかったのです。
喋る時の道具を気にかける人なんているでしょうか。
話す内容が全てです。
私は自分の音楽的個性を
音楽的に常に維持してきました。
常に話す内容がありました。
私は楽器を通して会話をする事を学んだのです。
私たちが練習を強制させられないような事を
いくつか思い起こしてみると
英語を例にすると、
先生が先生が新しい言葉を教えるとすると
先生はすぐにその言葉を内容を
伴った文章を使って教えます。
音楽の先生はただ練習しなさいと言います。
ただの練習は確かに効果はありますが、
実践的になるまでにはなるまでには
ちょっと時間がかかります。
私達はそれを既に
「言語」でも知っているはずです。
私は5歳になるころにはすでに5人で
ツアーに出ていました。
幸運にも素晴らしいソウルシンガーである
カーチス・メイフィールドの
オープニングで演奏させて頂いてました。
私が5歳だったので一番上の兄は13歳でした。
その頃を考えると
既に私たちはその年頃で立派に言語を
しゃべれたのですから、
音楽も同じではないでしょうか?
私は常に音楽を言語の様に追求してきました。
何故なら何故なら言語と一緒に発展させ、
同じ様に習ってきたからです。
これの一番良かったところは
やはり全ての子供が等しく持ち合わせている事、
それは「自由」です。
私はずっとこれを維持してこれました。
私はちは音楽的に自由です。
正解も不正解もないエアーギターを
かき鳴らしてる子に
音楽の先生はその子が何をしに教室にきたのかを
ほとんどの場合見つけ出す事が出来ません。
音が合っているとか間違っているという事は
問題ではなくて、
楽器なんです。
それを弾いているのは
それにはまっているからなんです。
歌も同じです。
音が合ってるから歌うとかじゃなくて
それがばっちりはまっていて
いい気持ちだから歌うんです。
朝食食べてる婦人が
「私はシャワーを浴びている時は
エラ・フィッツジェラルドなの!」
と言ってました。
当然、彼女は間違っていません。
ではどうして他の人がそれを聴いたら
違うというのでしょう?
その自由は成長とともに失われて行きます。
そして私たちはその自由を持ち続ける方法を
探さなければなりません。
そしてそれは可能なのです。
永遠に失われたりはしません。
エアギターをかき鳴らす少年は
レッスンを一回受けると笑顔が消えてしまいます。
ほとんどの場合その笑顔を取り戻す為に
とても音楽的に成長しなければなりません。
先生として、私たちはその笑顔を消えない様に
することが出来ます。
それはちゃんとした手順を踏む事で可能なのです。
その手順とは言語として音楽を教えることなのです。
生徒に自由を与え続けるのです。
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