インタビュー記事

ビクター・ウッテンがTEDでプレゼンした「言語としての音楽」がすごすぎる!インタビュー内容

2019年6月13日

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手が8本あると言われているベーシスト。その超絶技巧は誰もが認める世界のビクターウッテン演奏ではおちゃめな一面ものぞかせ、ファンを大切にしている事でも知られています。SNSではジャグリングも披露していてそれもかなりの腕前^^;

そんなセンスの固まりのようなビクターウッテンですが、TEDというプレゼンテーション番組で言語としての音楽というタイトルで自身の音楽感についてプレゼンしていて音楽をやっている人にとってはとても興味深いい話だと思うのでご紹介致します。

生まれながらにしてベーシスト

ビクター

皆様、ありがとうございます。そうです。私はバンドの一員として生を受けました。本当に言葉通りバンドの一員です。

産まれた時に兄達は既に音楽をしていてすぐにベーシストが必要だと悟りました。そんな役の中に産まれました。この歳になって、教える側に立ってから自らがどの様に教わってきたかをよく考えて振り返ってみると私は特に何も教わっていない事に気がつきました。これが私が音楽を言語と表現している理由です。

英語は自然と身につく

自分の母国語を考えてみて下さい。私とここにいるほとんどの人にとってはきっと英語でしょうから英語を基に話を進めます。英語をどうやって学んだか考えてみると、誰かに教えてもらっていない事に気がつくと思います。ただ、周りのみんながあなたに話しかけていただけです。それの何がすごいかって、一番面白い事は会話を返す事が出来る事です。

でも音楽では、ほとんどの場合初心者は自分より上手な人とは一緒に演奏する事が認められません。初心者は初心者のクラスで立ち往生するしかないのです。そしてそこに何年かいて中級に昇格し、やがて上級になります。上級を卒業してもまだまだやらなければならない事がたくさんあります。

でも言語なら、赤ん坊でも言語のプロといつも会話というジャムセッションをすることが出来るのですその時点ではあなたは自分初心者だとすら気がついていません。だれも「もうちょっと上手になってからじゃないと話してあげない」とは言いませんし、「もっと歳とったら話してあげるね」とも言われません。何を言わなければいけないのかも指定されませんし、部屋の隅に座って練習させられる事もありません。そして間違っていても正される事もありません。

どうやって話すかは自由

想像して下さい。あなたが2〜3歳で間違った言葉を何回も繰り返して覚えて誰も正してはこない。でも何回も間違った言い方をし続ければ、やがて親は間違いを指摘する代わりにあなたのやり方を覚えるでしょう笑そして彼らもまた間違って言い始めるでしょう。それの何がいいかって、あなたはずっと自由だって事です。どうやって話すかは自由なのです。

教育ではなく自由な表現

幼少期から音楽は自由だった

要するに音楽でもひたすら教育を受けてから自分の表現を探すのではなくて、初めから自由に自分なりのやり方で表現方法を習えば良いのです。だれもあなたの自由を奪ったりはしていません。それが私が小さい頃に習った音楽でした。私は英語と音楽を同時に同様に習っていました。私は聞かれると基本的には「そうだね。大体始めたのは2〜3歳くらいのときかな」と答えていますがそう答えた方が現実的で信憑性があるからなんです。でも英語を話し始めたのはいつでしょう?3歳きっかりになるまでずっと待ってはいなかったでしょう。

兄弟から言語

あなたはきっと言語を産まれる前からしゃべっていたと思います。声を既におなかのなかで聞いていたでしょうからその時から既に言語を習い始めていたと思います。私もその様に音楽には触れてきていて、それは凄い良い事だったと思います。特に5人の中で一番上の兄弟レジーは、私たち兄弟にそういった教え方をしてきました。私とはたった8歳しか違わないのにどうしてそこまで考えが及んでいたのかまさに天才的な教え方でした。それをTEDでプレゼンした方がもっと確信に迫れると思います笑ベースを直接持たせて弾かせるようなものでは全くなかったです。

弾けなくても演奏

まず初めに彼らが行ったのは、幼少期から私の周りで音楽を演奏したことです。ハワイに住んでいた頃、よく庭に玩具と椅子を並べててその椅子の上にはミッキーマウスがひっついたギターがあって、それが誰の物かなんて聞く必要すら私はなかった。同じ様に誰もあなたに「あなたの番ですよ」と言う必要なんてないんです。あなたはやり方をしっていて、私もあの椅子と楽器が私のものだって事を知っていました。プラスチックの弦が張ってあって調律して曲を弾くんですが、実際は弾けないんです。でもそんな事は関係なかった。

音楽は既に知っていた

楽器を自分で持てるくらい体が成長すると、彼らは私に持つ物をくれた。後々なにか弾く時の為の準備用に。その楽器を弾くことは重要ではなくて、これは多くの人が間違えている事なんですが、多くの人は音楽が何かを知る前に子供に楽器を弾く事を教える。子供に牛乳が何かを教える前に牛乳って書ける様に教えてもそれに意味は伴わないでしょ?でも何故かそれが意味があると音楽では思われている。

私たちは先に理論や楽器を教えたがるのです。私は先に音楽を知りました。兄弟が4小節の最後のフレーズでハイハットを開けると何が起こるのか。それは赤ちゃんにとって母親が声のトーンを少し上げたり、父親がトーンを落としたりする事が何を意味するのか理解するのと同じ様に、こういった事を理解しても尚まだそれを表す言葉は理解出来ないのです。その赤ちゃんが言葉をしゃべりだす前までにはもう既に言葉についてたくさんを知っているのです。

音楽的である事

楽器が手元にあった時には既に、私はとても音楽的でした。3歳になる頃には、レジーは6弦あるギターのうち2つの高音弦をはずしそれが私の初めての楽器になった。レギーは私が知っている曲の音がどこをならせばなるのかを教えてくれた。私は決しして初心者ではなかった。私は既にとても音楽的だったので、あとはその音楽性を楽器に通すだけでした。思い返すと、それは私が言葉を習ったのと全く同じでした。初めに習ったのは楽器ではなかったのです。

楽器で会話

喋る時の道具を気にかける人なんているでしょうか。話す内容が全てです。私は自分の音楽的個性を音楽的に常に維持してきました。常に話す内容がありました。私は楽器を通して会話をする事を学んだのです。私たちが練習を強制させられないような事をいくつか思い起こしてみると英語を例にすると、先生が先生が新しい言葉を教えるとすると先生はすぐにその言葉を内容を伴った文章を使って教えます。音楽の先生はただ練習しなさいと言います。

ただの練習は確かに効果はありますが、実践的になるまでにはなるまでにはちょっと時間がかかります。私達はそれを既に「言語」でも知っているはずです。私は5歳になるころにはすでに5人でツアーに出ていました幸運にも素晴らしいソウルシンガーであるカーチス・メイフィールドのオープニングで演奏させて頂いてました。私が5歳だったので一番上の兄は13歳でした。その頃を考えると既に私たちはその年頃で立派に言語をしゃべれたのですから、音楽も同じではないでしょうか?

音楽的に自由

私は常に音楽を言語の様に追求してきました。何故なら何故なら言語と一緒に発展させ、同じ様に習ってきたからです。これの一番良かったところはやはり全ての子供が等しく持ち合わせている事、それは「自由」です。私はずっとこれを維持してこれました。私はちは音楽的に自由です。正解も不正解もないエアーギターをかき鳴らしてる子に音楽の先生はその子が何をしに教室にきたのかをほとんどの場合見つけ出す事が出来ません。

音が合っているとか間違っているという事は問題ではなくて、楽器なんです。それを弾いているのはそれにはまっているからなんです。歌も同じです。音が合ってるから歌うとかじゃなくてそれがばっちりはまっていていい気持ちだから歌うんです。朝食食べてる婦人が「私はシャワーを浴びている時はエラ・フィッツジェラルドなの!」と言ってました。当然、彼女は間違っていません。ではどうして他の人がそれを聴いたら違うというのでしょう?その自由は成長とともに失われて行きます。

自由を持ち続ける

そして私たちはその自由を持ち続ける方法を探さなければなりません。そしてそれは可能なのです。永遠に失われたりはしません。エアギターをかき鳴らす少年はレッスンを一回受けると笑顔が消えてしまいます。ほとんどの場合その笑顔を取り戻す為にとても音楽的に成長しなければなりません。先生として、私たちはその笑顔を消えない様にすることが出来ます。それはちゃんとした手順を踏む事で可能なのです。その手順とは言語として音楽を教えることなのです。生徒に自由を与え続けるのです。

良いミュージシャン

大きくなるにつれて、少し大きくなってからは兄弟達でツアーををすることが多くなってから、母親がその頃の私には理解できないような質問をするようになった。これは私自身子供を持つ身になってからやっと理解出来たのですが、「たくさんいるだろうミュージシャンの中で良いミュージシャンとは何?」私はそれについて考えていました。ミュージシャンの身として世界は私に何を求めているのだろう。今大人になって分かるのは、音楽は言語以上だってことです。

ミュージシャンのライフスタイル

音楽はライフスタイルで、私自身のライフスタイルです。誤解して欲しくないのは、多くのミュージシャンがしている様なライフスタイルの事を言っているのではないのです。私たちのヒーローだったミュージシャン達は大きな成功の裏に生活環境では大きな失敗をしてる人達がいます。何人か名前を挙げる事が出来ますが、誰も怒らせたくはありません。でも私たちのヒーローはそういった人が多くいました。私たち兄弟の親はそういった、私たちが想像もついていないような事に対して警鐘を鳴らしてくれていました。

いいミュージシャンとは何なのでしょう。そうこうしている間私たちは何時間も練習していました。家を大きな音楽室へと改造して、近所のミュージシャン達が集まる様になりました。親はないお金を私たちの楽器につぎ込んでくれました。最新の楽器を持っていられる様にしてくれました。毎年クリスマスになるとサンタが最新の楽器を持ってきてくれるのです。あれはなんだったのでしょう?私たちがそれを使ってお金を稼げる様にする為でしょうか?ステージ上で輝ける様にする為でしょうか?今なら理解出来ます。そんな小さな話ではないのです。

「それが音楽だよ!」

音楽を通して話す

音楽は私のライフスタイルです。そして私が更に音楽を追究して行く中で先生としての人と関わる中で私は音楽から様々な事を学び、それが人生に様々な面で活かせる事に気がつきました。良いミュージシャンになる為には、良い聴き手にならなければならないのです。どんなにベーシストとして成功していようとどんな楽器だろうとそれは関係なく世界で最も上手い5人のミュージシャンを同じステージにあげても私たちがそれぞれを無視して勝手に弾いていたらひどい事になります。ですが、お互いにお互いの音を聴き合って一緒に演奏すれば個人個人はそんなにすごくある必要がなくそれだけでも演奏がすごく良く聴こえるんです。

私はカルフォルニアにあるスタンフォード大学に何年か連続で呼ばれていました。新入生に音楽を通して大学の4年間にアイディアを与える為でした。音楽を通して政治、差別問題、平等、不平等、宗教、について話しました。音楽を通せば何を話しても安全なのです。私たちは学生の中で楽器を一度も触った事のない人を選びました。基本的には女性の方でした。ベースを持たせてバンドとセッションをしてもらうのです。

それが音楽

バンドが演奏を開始するとすぐに、その学生はこうやってやるんです(頭をふってリズムにのってるジェスチャー)そして私は「それが音楽だよ!」楽器店にあるベースは放っておいても何も音を発生しません。ベースから音楽を出す為には、そこ(ベースをかついている子をさして)に持ってきて今さっきやったのってるグルーヴをベースに入れこんで行くんだ。

私は彼女に左手で左手でネックをただ握っててもらいました。誰だった楽器の持ち方は知っていますからね笑そしたら右手で踊って下さい。彼女は旋律の中で跳ね回ります。そしてバンドが彼女を包み込み彼女はいつのまにかベーシストなのです。更には彼女はミュージシャンなのです。ダンサーは踊る直前に質問はしませんし、ボーカルは基本的にはどの調でやるのかなんてき聞いたりはしません。

彼女はベースを持ち帰った

一方ミュージシャンは質問が多すぎるのです。要するにこのセッションから私が学んだ事は「驚いた!私たちがすごければ彼女は何も知らなくても演奏出来るんだ!笑」ってことそして途中からこれを見た人はこのバンドメンバーで誰が初心者かなんて見分けは付かない。スタンフォードでの出来事で一番なにが一番良かったか、それはベースを弾いた彼女がそのベースを持って買える事が出来たって事笑彼女に最近会う機械があったけど、彼女はまだベースを続けている。それは素晴らしい事だと思う。

音楽を聴く事はとても重要な要素なように人生においても仕事で一緒に働いたり助け合ったりするのは凄く良い事なんだ。誰かが君を持ち上げてくれたら謙虚なふりして持ち上げてくれたところから降りちゃいけない。そこにとどまって彼らの事も持ち上げてあげてあげなければならない。あなたがそこから下がるよりも早く彼らは成長するのだから。

音楽の戦場で待ってる

私たちは上手な方なのでこういったこういった初心者を手助けします。音楽では、誰かに上手と言われるまでは上手とは呼べません。人は「あの人このグラミー賞全部とってるんだぜ」って言いますがそれも全て皆様がいなければなし得なかった事なのです。母親はよくこう言っていました。「あなた達はすでに成功しています。世界はそれをまだ知らないだけ」当時は意味が分かりませんでしたが、今は身に染みて分かります。

二つの音の聴こえ方

今日私がここから帰る前に一つだけ考えて欲しい事があります。2つの音だけを演奏するとして、そうですね、C(ド)とC#(ド#)を弾く事を想像してみて下さい。この二つの音はきっとぶつかっている様に聴こえるでしょう「間違っている」「良くない」でもCを1オクターブ上に上げてC#とCをまた同じ様に弾くと突然、その二つの音はとても綺麗に聴こえるのです。同じ音なのに、CがC#にとってのメジャーセブンスに変わるのです。これはコードをとても綺麗に響かせる為の本質的な要素ですが、どうして同じ音なのに片方はぶつかっていて片方は美しく響くのでしょうか?

これを人生に置き換えてみましょう。私たちが目にするような「良くない」事や災難などはもしかしたらオクターブ違うところから見ているだけかもしれません。もしかしたら視点を変えてみた方がいいのかもしれません。「間違っている」事をみたときあなたはむしろ、違うオクターブにいる事が分かるでしょう。そしてどうすれば視点を変えられるのかを探せるでしょう。音楽的にいうならばオクターブを変えてみる事です。

締め

国は人々を傷つけたり恐怖を煽ったり、殺す為に爆弾等を製造しています。政府はその爆弾を発射前に祝福します。これは政府の上層部から下層部に政府から国民全体に伝搬して起こる事で国民全体が、解決の手段なのです。人があなたの事を好きになるような爆弾を製造している人はいますか?キューピッド爆弾とかもしあればそうかもしれませんね。ですが、その力はもう既に私たちが持っていると私は信じています。

それは音楽です。そしてそれぞれの国は自分のバージョンの音楽を持っています。そしてそれはとても効果的です。それは人を協調させそれを行う為にそれについて何も知る必要はなくてそれは言語でありライフスタイルであり世界を救う事が出来ます。私の名前はビクターウッテンでミュージシャンです。皆さんとその音楽の戦場で会える日を期待しています。ありがとうございました。

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